濃尾平野をうろうろと その3
樽見鉄道北方真桑駅から最初の目的地のパン屋さん「歩絵夢」までは約2km、途中で名鉄揖斐線の廃線跡と交差します。
築堤は草刈もされ、ポール、勾配票なども残っていました。
お店はすぐに見つかりましたが定休日・・・
事前に調べておけば、と後悔したものの水曜定休では行ける時はありません。
仕方ないのでお店の周囲から何枚か写して次の目的地へ。
しかしレールを敷いてあるのに、台車がなくて直接車体が乗っているのはやはり異様ですね。
このあたりは農地と住宅地が入り混じるところですが、近くには北方町体育館はあるものの他には人が集まるような施設や工場もなし、幹線道路に面しているわけでもないので、立地としてはきびしい気がしましたが・・
パン屋さんは5年前、こちらのキハ82前面が鎮座する喫茶店は20年前のオープン、それぞれ常連さんがついているのでしょう。
中京地方は朝食を喫茶店で取る人も多く、このときも平日11時ころで店内にはそこそこお客さんが入ってました。
で、マスターはずっと常連さんとお話していて・・・
はっきりいってフリの客には居心地の悪いお店でした。
こんなお店なのでじっくり店内拝見しようと時間も余裕見ていたのですが、そこそこのところで出ました。
ということでここでも予定より早くなってしまい、バスで穂積駅に出るつもりが、また樽見鉄道で戻るかと駅に向かったところ、途中で岐阜行きのバス停がありました。お客さんも2人待っていましたが時刻表を見ると行ったばかり?
「バス遅れてますよ」と待っていたおばあさんが声かけてくれたのでこれで岐阜まで行くことに。
名鉄揖斐線をトレースする路線のようで、岐阜市内は千手堂からかつての軌道線と同じコースを走ります。
久しぶりに徹明町交差点から岐阜駅前への車窓を見ていましたが、見事にシャッター通りになっていました。岐阜市内、中心街の衰退ぶりは話には聞いていましたが、駅前の繊維問屋街はじめこれほどまでとは・・・
名鉄やJRの駅はきれいになりましたが電車通りを大勢歩いていた人はいったいどこへ行ってしまったのだろうと。
新岐阜からは12時半すぎの竹鼻線直通に乗れば良いのですが、1時間ほど余裕ができました。
ふと思い立って未乗の一ノ宮からの尾西線の北側、玉ノ井に行けないかとまずはJRで尾張一ノ宮へ、ところが玉ノ井行は2分前に出たばかり、次は28分後、駅窓口で時刻表を借りて調べたらそれでも往復する時間はあったので乗ってきました。
この区間は尾西線とはいうものの一ノ宮以遠からの直通はなく線内折り返しです。ここでも方向幕はなく、運転室内に行先板を掲示していました。
玉ノ井から一ノ宮、笠松と乗り継いで竹鼻線から羽島線の終点新羽島へ。
さすがにこんなローカル区間の連絡は接続の良い名鉄でもけっこう待ち時間がありました。
新羽島で折り返し、羽島市役所前で降りて、代替バスで大須へ。
終点大須は更地になった駅跡、かつての駅前広場だった場所でした。
ここでバスを乗り継いで海津市へ。
バス乗り場前では駅前商店だったお店のたばこと公衆電話の看板が風に揺れていました。
海津市コミュニティバスに乗ったら運転手さんが「どこまで?」と聞いてきました。「資料館まで」と告げたのですが、このバス、停留所案内はないし、路線図も車内にはなく、分かっている人が乗るから良いのでしょうがやはり普通の路線バスとはいささか雰囲気が違います。
保存車訪問をしているとこのような公営コミュニティバスを利用するとこも多いのですが、概して案内表示が分かりにくいものです。
行き先だけで路線図全体を表示していないとか、地元の人には自明のことなのでしょうが。
海津市歴史民俗資料館前庭に展示されている工事用DLとトロッコ。岐阜県と書かれていますが、ナンバー表記などは見当たりませんでした。
資料館からバスで養老鉄道の駒野駅へ。養老鉄道の列車は日中サイクルトレインとして自転車が乗せられます。
前面窓にその表示がされています。
この画像、後の車両から自転車が降りているのですが、小さすぎて分かりませんね。
桑名駅近鉄ホームは養老鉄道の経営分離によってホーム上に柵ができていました。
近鉄側の売店には「養老鉄道あられ」が並んでいました。
名古屋からは例によって豊橋、浜松と乗り継ぎ、静岡発の「ながら」送り込み列車で帰ってきました。
夕食は駅弁になるのですが、この時期は花粉症対策でアメを口にいれていることが多く、そのためか空腹感がありません。
いつものように豊橋で駅弁を買うこともなく静岡に着きました。
静岡駅ホーム売店で助六が売っていたので、これくらいはと思い購入。500円也。
年食ったせいか、稲荷と干瓢巻のシンプルなお弁当が最近とくにお気に入りになってきています。
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