元王電ビル
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河田さんの言えばTMSに掲載された実物探訪記事とそれをまとめた名著「シーナリーガイド」川俣線の一日で模型で再現するダイヤ運転の面白さ、スハニ35の都落ちした姿、若桜線の郡家や丹比の読み方とその佇まい、北海道の一本松臨時乗降場、など鉄道車両だけでなくそれを取り巻くものの面白さを教えてくれた方でした。
その河田さんの絵画作品展が銀座で行われています。
かつての鉄道情景ばかりでなく、昨今の山手線、みなとみらい線、阪神梅田なども題材とされています。
精緻で温かみのある線と色彩で描かれた鉄道のある風景は鉄道趣味のまた新たな広がりを感じさせてくれる心地よいものでした。
TMSの記事やシーナリーガイドを愛読された方、鉄道をとりまく情景が好きな方はぜひご覧になることをお勧めします。
つーか行かないと絶対後悔しますぜ。
銀座ミレージャギャラリー
河田耕一作品展 鉄道の風景を描く 北から南まで
4.15(水)~20(月) 11:00~19:00(最終日は17:30まで)
*東京メトロ 銀座・日比谷・丸の内線 銀座駅 A10出口より5分
有楽町線 銀座1丁目駅 11出口より1分
*JR 有楽町駅、京橋口から 10分
作品のポストカード、ポストカードブックも会場で販売しております。
河田さんもご夫婦で会場に詰めていらっしゃるとのことで、いろいろとお話も伺えます。
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紀州鉱山の様子は本編をご覧いただくことにして、こちらではバスの画像を1枚だけ。
このバス往きも帰りも一番乗っていて8人ほど、地方公共交通は厳しいです。
バスを熊野市街に入ったところの河上横丁で下車、バス車窓からも見えた下平公園のC58418を訪問。
熊野市駅に戻り、待合室の紀勢線全通50周年記念写真展や鵜殿駅のNゲージジオラマなど見ていたらそろそろ新宮行き列車の改札となりました。
すぐにホームに入ればDD51の引くコンテナ列車の進入を撮れたのですが・・・
いささか気落ちしていたのですが、新宮に着いたらこんなのがいたのでもうけた気分になりました。
新宮駅ホームには洗面所が現役です。
ホームの無骨な梁や鉄道時計とよくマッチしています。鏡もピカピカに磨かれていました。
新宮駅から10分ほど歩いてかつての新宮鉄道時代からの熊野地貨物駅跡にほど近いあけぼの町公園のC1196を訪問。
ここも小さい公園でした、公園の横は貨物線跡の遊歩道になっています。
後は普通列車を乗り継いで帰るだけ。
丸い月が昇り漁港に船が帰ってきました。
二木島駅停車中に撮影。
帰りは列車の接続が良すぎて途中で食事をすることも買い物するとこも難しそうなので新宮でさんま寿司とパンを購入。
さんま寿司は駅そばスタンドが閉まっていたので買えないかと思ったのですが、KIOSKでも扱っていました。
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2日分残った18きっぷ使って往復「ながら」で南紀に行ってきました。列車本数の少ない紀勢本線では特急も使いましたが、多気から先に乗ったのは30年ぶりです。
「ながら」で早朝名古屋に着いてすぐに関西線に乗り継いでも結局途中は特急に乗ることになります。
ならば名古屋市内でちょっと寄り道と、未乗の地下鉄桜通線に乗車、終点の中村区役所前では一旦引き上げて折り返していました。
今池まで乗ってJR東海社員研修センターの保存車を訪問。
ここには軽便機ケ90とC57139が保存されています。
金城埠頭にできるJR東海鉄道博物館にC57は移転するとのことで、すでに新聞でも発表されています。
屋外にあるうちに一度、と思い立ち寄ることにしました。
以前は機関車の近くに入れたのですが、今はフェンスの外から眺めることになります。
東のC57126、西のC59108とともに戦後のお召し列車の先頭に何度も立った名古屋のエースC57139、ランボードにお召し装備の名残が見られます。
鉄道会社の敷地内で、しかも研修施設なのに足回りにサビが見えたのは少々残念です。
名古屋から亀山行きに乗り、さらに乗り継いで津へ、ここから「南紀1号」で熊野市に向かいます。
「南紀1号」は4連で自由席は1号車のみとのことで座れるかちょっと心配だったのですが、10人も乗っていなかったので、運転士後ろの席で前面展望を楽しみました。
少々遅れたのか定時ならば津を1分後に出る近鉄特急が先行、追走しましたが追いつきませんでした。
車内で童謡「ふるさと」のメロディーの電子音が何度か聞こえました。
着メロだったら切っておけよ、と思ったのですが松阪駅弁「モー太郎弁当」に仕込まれたものでした。
蓋をあけると光センサーが反応しメロディが流れるというギミック搭載の面白いお弁当なのですが、ずっと鳴っているのは車内ではけっこう気になるものです。
画像は熊野市駅を出発してゆく南紀1号。
熊野市駅は三角屋根のなかなか瀟洒な木造駅舎、改装されてはいるものの開業当時からのものだそうです。
折しも待合室では紀勢線全通50周年記念写真展が行われていました。
駅前から南紀広域バスで紀州鉱山のあった板屋へ。
途中こんな珍名バス停がありました。
「平ノ平」(ひらのだいら)なんていうバス停もありました。
板屋では鉱山資料館に保存されている紀州鉱山の車両を訪問、その後動態保存されているトロッコ電車に乗るべく出発地の瀞流荘に向かおうとタクシー会社の場所を資料館受付で聞いたところ職員さんはご存知ないとのこと。
こういう施設訪れる人はほとんどが車利用なんだぁ、と。
タクシー会社の場所は看板が出ていたのですぐに分かったのですが、そこにいたおじさんに声掛けると、なんと3月いっぱいで廃業したとのこと。
タクシーがいなかったら資料館から瀞流荘まで歩くつもりだったのですが、これは予想外でした。
地方の零細タクシーは今後廃業というケースも増えて行くのだろうな・・・
続きます。
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限定駅弁も発売されていました。
新宿で見かけて食事時ではなかったのですが、なかなかシックな掛け紙で無視できず購入、1200円也。
A8系1B1タンクロコがマッチ箱客車の先頭にたっていますが、撮影場所の表記がありません。
岩崎・渡邊コレクションの1枚ですが、こういう企画なのですから場所はしっかり記載してほしいものです。
内容は和風に徹して色取りもなかなかあざやか、このままお花見にも似合いそうです。
なぜか干瓢巻が2カンついています。
記念パンも買えました、200円也。
屋根?に120の文字が描かれています。
これと同じパン、以前買ったのですが、どこだったかな・・・
このBlogでも紹介した記憶があるのですが。
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中央線120周年記念企画(注pdfファイルへのリンクです)のひとつで「中央線電車パン」が最寄り駅のエキナカで販売されているのですが、一日限定20コで行く時間が悪いのかいまだにお目にかかれません。
買って来たらこのBlogで紹介するつもりだったのですが、とりあえず先日紹介したクッキーの反対側を。
どうやらこのクハ200-180は軌道試験車に改造されたようです。(笑
クーラーの描写も90度間違えているっぽいし・・・
鉄道会社の公式企画で承認済の文字も入っているんですが、こういうのだれかチェックしていないんですかね?
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常陸太田駅前からバスで大甕へ、日立電鉄の廃線跡がバス車窓からも見えましたが、大甕から常磐線下り列車に乗ってかつての鮎川終点はどうなっているのだろう、と注意してみていましたが分からないまま常陸多賀に着いてしまいました。
次の目的地は原ノ町のC50103、いわきで原ノ町行きに乗り換えて北上を続けます。
常磐線の北部はいままでも2度しか昼間通過したことがありませんが、この区間明治のミカドから昭和のハドソンまでの煤がしっかり染込んだ旧線トンネルが平行している山あいを抜けると太平洋が見えたり、短い鉄橋を渡ってトンネルを抜けると広い田園地帯に出たりと変化のある車窓が楽しめます。
ということで、広野駅には唱歌「汽車」の碑があります。
♪今は山中 今は浜
の歌詞はこのあたりを唄ったものだとか、もっともこれは町がそう主張していることで実際は疑問点があるようですが、歌の歌詞のような風景が現れることは確かです。
次の木戸駅の上りホームにはお城がありました。
学生時代に読んだ旅の同人誌に北海道から九州まで鈍行日本縦断をした人の投稿があり、「常磐線の小駅でホームに城のある駅があり、通過した駅の中で一番印象に残った」ということが書かれていました。
そんな駅ならば話題になるはずが、全く他でそういった話も聞かないので、一時期だけ設置されたものなのか、とも思っていたのですが、ここだったのか!と長年の疑問が晴れました。
木戸駅には他にも石造りの油小屋があったり、富岡にはレンガ造りの油小屋が、また木造駅舎も多く残っていて、ホーロー駅名票も少数ですが写真は撮れなかったものの確認しました。
地味な区間ですが、ストラクチャーウォッチングには面白いところだと思います。
小高駅には木製の鳥居形駅名票も健在、観光案内もこの形で残っている駅もありました。
ところでこの駅には模型屋さんはありません。(意味分かる人は40歳以上かと 笑)
原ノ町に着いたのは15:44、C50103が保存されている歴史民族資料館は駅から2kmほどの丘の上、入館は16時までで雨も降ってきたのでタクシーを使いました。
基本料金で行くだろうと思っていたら道が回りこんでいたので10分弱かかり1130円でした。
保存場所は資料館の向かいで開館時間に関係なく見られる場所でした。
ちょっとペンキ厚塗り気味ですが、全体に状態は良好です。なぜか前面ナンバープレートが斜めになっています。
帰りは駅まで歩いて25分ほど到着、駅前には駅弁業者の丸屋さんがあり、店頭でも駅弁を購入できるようですが、寒かったので駅そばにしました。
駅そばスタンドも丸屋さんがやっていますが、6時から22時までと営業時間がえらく長いのは関心しました。
また「そば弁当」なるものも売っているのですが、残念ながらこのときお店にあったのは消費時間切れで販売できないものだけで、あきらめました。
昼は行きのいわき駅で駅弁を、と考えていたのですが、ホームのKIOSKには見当たらず、改札外にもなかったので仕方なく売店でおにぎりを購入したのですが、帰りもいわきで乗り換えで降りたところ、階段下に駅弁売店があるのを見つけました。
が、並んでいるのは新宿駅でも見かけるNREのお弁当ばかり・・・
その中でこれは?と思わず手を出したのが「ウニピラフ弁当」1000円也。
駅弁マークは入っていませんが、かつてのいわきの名物駅弁「うにめし」の再来を思わせるお弁当です。
うにの旨み、甘みがたっぷり味わえました、またピラフというとさめてしまったらご飯がボロボロになるのでは、という懸念もありましたが、さめていて充分においしいお弁当でした。
製造元のメヒコはこのあたりで有名なシーフードレストランとのことです。
いわき駅上りホームには1枚だけホーロー看板が残っていました。
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メインに使っているズームが入院してしまったのですが18きっぷを期限内に使ってしまわなければならないので、今週は常磐線へ。
最初は福島臨海でも撮って、四ツ倉の奥にある八茎鉱山の保存車を見に行こうかと思っていたのですが、レンズは広角ズームと単焦点の望遠だけ、天気も良くないので気合も入りません。 結局駅からさほど遠くない保存車を訪問することにしました。
まずは水戸の千波湖畔のD51515を訪問、ここに行くバスがWebで調べてもいまひとつよく分からなかったのですが、水戸駅北口発の関東鉄道バスで偕楽園行以外だったら最寄の千波湖バス停を経由していました。
機関車は露天ですが良好な状態で保存されています。
次は常陸太田の国交省河川国道事務所に保存されているKATOを訪問、ここに行くには水戸からならば水郡線で1本なのですが、何を勘違いしたのか乗り損なってしまい、大甕からかつての日立電鉄線代替えのバスで向かいました。
駐車場の奥にナベトロ2両を従えて展示されています。ラジエターに三菱のエンブレムがありますが、これは珍しいのでしょうか。
常陸太田駅と日立電鉄の常北太田駅を繋いでいた歩道橋、JR側の階段が撤去されていてトマソンの純粋階段状態になっています。
道路の案内表示や信号機が付けられているのでその点では現役なのですが、このままずっとこの状態にしておくのでしょうか。
常北太田駅はバス待合所として電車営業していたころのまま使われています。
出札窓口、改札口もそのままですが、車庫もあった駅構内は更地になっていました。
電車が走っていたころはベンチも反対側を向いていたのでしょうね。
更地の駅跡から大甕に向かって伸びる廃線跡、踏み切り部分の端っこにレールが見えていました。
続きます。
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南海で難波へ出て、20日に開業したばかりの阪神難波線に乗るため近鉄駅へ行くと開業記念グッズのポスターがありました。
記念カードがあったので購入、3000円也。
スルッとKANSAIカードは日比谷の鉄道フェスティバルなどで各社のものを購入して持っているのですがなかなか使う機会がなく、今回の旅行である程度使ったのですが、またしても在庫を増やす結果に・・
ホームに降りたらすぐに阪神直通の近鉄車急行が来て、あたりを観察する間もなく乗り込みました。
乗ってしまえば地下線、トンネルを出てからもシェルターの中なので面白みはありませんが、難波から10数分で阪神線を走っているというのは不思議な感しでした。
阪神本線と合流する大物で下車、駅から5分ほどの公園に保存されているD518を訪問、姫路のC575を整備している保存会がこのD51も手入れされているとのことで、露天ながら美しい状態でした。
ところで関西には梅小路に1、弁天町に2、大物に8、三田に25、嵯峨に51となめくじが5両もいます。現存18両ですから現役当時の配置から見ても多いと思います。
東京周辺では流山、つくば、横川と近郊にはいないのと対照的です。その代り切取り式デフのD51は関西には0、門デフ機も豊岡のC5711のみですが、東京、千葉には切取り式デフのD51が3両います。
大物駅に戻って西にゆくので、本線と難波線とどちらが先にくるのだろうと思いましたが駅にはその手の案内表示はありません。
もっとも次の尼崎で相互に連絡しているようなのでどちらに乗っても同じなのかもしれませんが。
本線の各駅停車に乗ったのですが、尼崎で難波線からの列車が切り離し作業をしているため信号の開通待ちとのことで駅間でしばらく停車、作業がまだこなれてないのでしょうか。
尼崎ではこんなのがいたのでホームの先から撮影、1本待ってセンタープール前へ。
まずは神戸方高架下の野上電鉄から里帰りした604と1150、旧塗装に戻され大事にされているようですが、2重の金網にさえぎられ近寄ることもできません。
いつかきちんとした形で公開してほしいものです。
駅名になった競艇場の裏側の公園には国道線の「金魚鉢」71号が保存されています。
今回は時間が無くて行けなかったのですが、この公園から15分ほどのところに阪急の奇しくも同じ71号が保存されています。
「金魚鉢」はもう1両、74号がセンタープール前と出屋敷の間の公園に保存されています。
この2両の金魚鉢、集会所にも使われていたようですが、今でも使っているのでしょうか。
出屋敷から武庫川へ、川の上の連絡通路を通って武庫川線ホームへ。
この線は州崎までのころに乗っていますが、その後1駅延長されたのでこの区間が未乗でした。
終点の武庫川団地前は案外立派なのが州崎が終点だったころを思うと意外でした。
これで阪神は全線乗車、関西私鉄の最初の完乗です。
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夜行日帰りならばそろそろ帰りの電車の時間なのですが、今回は帰路も「ながら」を押さえてあります。
午後は阪堺電車上町線へ、ここは昨年10月に乗った折、車窓から気になった物件がいくつかあったので、今回は全線歩くことにしました。
またこの時期ならば冷房のないモ160も動いているだろうという読みがあったのですが、天王寺で降りて駅前の歩道橋に出たら今度は運のよいことにさっそくモ164がやってきました。
レンズはAFが使えず、10年ぶりくらいでMFで撮影しましたが、速度の遅い路面電車なのでなんとかピント合わせも追いつきました。
気になっていた物件のひとつ、姫松電停の待合室。
併用軌道区間には珍しく道路端に待合室が設置されています。それもかなり年季の入ったもので、柱回りの造作がなんとも優雅です。
これも車窓から見て気になっていた建物。
2階に丸窓のある家、医院建築や旅館などで見かける意匠ですが、ここは何だったのでしょうか。
モ160に比べればぐっと新しいモ501、モ351も車歴50年にならんとする今やオールドタイマーです。
古い電車と古い建造物、狙っていた絵が撮れました。
このあと空模様が怪しくなり、住吉に着くころには本降りになっていました。
住吉にも姫松と同じような待合室があります、ここで雨宿りをしながらしばらく撮影していたら雨は上がり日も出てきました。
さらにかつてのグリーン一色に窓枠ニス塗りのモ163も撮影でき、満足して南海線の住吉大社駅に向かいました。
続きます。
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