18きっぷで南紀へ その2
紀州鉱山の様子は本編をご覧いただくことにして、こちらではバスの画像を1枚だけ。
このバス往きも帰りも一番乗っていて8人ほど、地方公共交通は厳しいです。
バスを熊野市街に入ったところの河上横丁で下車、バス車窓からも見えた下平公園のC58418を訪問。
熊野市駅に戻り、待合室の紀勢線全通50周年記念写真展や鵜殿駅のNゲージジオラマなど見ていたらそろそろ新宮行き列車の改札となりました。
すぐにホームに入ればDD51の引くコンテナ列車の進入を撮れたのですが・・・
いささか気落ちしていたのですが、新宮に着いたらこんなのがいたのでもうけた気分になりました。
新宮駅ホームには洗面所が現役です。
ホームの無骨な梁や鉄道時計とよくマッチしています。鏡もピカピカに磨かれていました。
新宮駅から10分ほど歩いてかつての新宮鉄道時代からの熊野地貨物駅跡にほど近いあけぼの町公園のC1196を訪問。
ここも小さい公園でした、公園の横は貨物線跡の遊歩道になっています。
後は普通列車を乗り継いで帰るだけ。
丸い月が昇り漁港に船が帰ってきました。
二木島駅停車中に撮影。
帰りは列車の接続が良すぎて途中で食事をすることも買い物するとこも難しそうなので新宮でさんま寿司とパンを購入。
さんま寿司は駅そばスタンドが閉まっていたので買えないかと思ったのですが、KIOSKでも扱っていました。
| 固定リンク
コメント
C1196は左側のデフが低いんですね.梅小路時代の写真でもそのようです.
投稿: 田駄雄作 | 2009年4月16日 (木) 22時23分
田駄さん
おぉ本当だ、全く気が付きませんでした。
他にもこういった例あるかもしれませんね。
投稿: TADA | 2009年4月16日 (木) 23時16分
C1196は新宮鉄道時代に3両 船で運ばれてきた1台です 当時、国鉄省では もうナックル型の連結器でしたが
新宮鉄道では バァッファー付きでピン連結でした
ちなみに新宮出身で 今は東京世田谷にいます
投稿: 松根康人 | 2010年7月17日 (土) 16時43分
松根さん
コメントありがとうございます。
そうですね、96号機は離れ小島だった紀勢中線で活躍した機関車でした。
ピンリンクカプラー時代の写真は伊藤東作氏だったかな、撮影されていましたね。
投稿: TADA | 2010年7月18日 (日) 22時17分