18きっぷで常磐線
常陸太田駅前からバスで大甕へ、日立電鉄の廃線跡がバス車窓からも見えましたが、大甕から常磐線下り列車に乗ってかつての鮎川終点はどうなっているのだろう、と注意してみていましたが分からないまま常陸多賀に着いてしまいました。
次の目的地は原ノ町のC50103、いわきで原ノ町行きに乗り換えて北上を続けます。
常磐線の北部はいままでも2度しか昼間通過したことがありませんが、この区間明治のミカドから昭和のハドソンまでの煤がしっかり染込んだ旧線トンネルが平行している山あいを抜けると太平洋が見えたり、短い鉄橋を渡ってトンネルを抜けると広い田園地帯に出たりと変化のある車窓が楽しめます。
ということで、広野駅には唱歌「汽車」の碑があります。
♪今は山中 今は浜
の歌詞はこのあたりを唄ったものだとか、もっともこれは町がそう主張していることで実際は疑問点があるようですが、歌の歌詞のような風景が現れることは確かです。
次の木戸駅の上りホームにはお城がありました。
学生時代に読んだ旅の同人誌に北海道から九州まで鈍行日本縦断をした人の投稿があり、「常磐線の小駅でホームに城のある駅があり、通過した駅の中で一番印象に残った」ということが書かれていました。
そんな駅ならば話題になるはずが、全く他でそういった話も聞かないので、一時期だけ設置されたものなのか、とも思っていたのですが、ここだったのか!と長年の疑問が晴れました。
木戸駅には他にも石造りの油小屋があったり、富岡にはレンガ造りの油小屋が、また木造駅舎も多く残っていて、ホーロー駅名票も少数ですが写真は撮れなかったものの確認しました。
地味な区間ですが、ストラクチャーウォッチングには面白いところだと思います。
小高駅には木製の鳥居形駅名票も健在、観光案内もこの形で残っている駅もありました。
ところでこの駅には模型屋さんはありません。(意味分かる人は40歳以上かと 笑)
原ノ町に着いたのは15:44、C50103が保存されている歴史民族資料館は駅から2kmほどの丘の上、入館は16時までで雨も降ってきたのでタクシーを使いました。
基本料金で行くだろうと思っていたら道が回りこんでいたので10分弱かかり1130円でした。
保存場所は資料館の向かいで開館時間に関係なく見られる場所でした。
ちょっとペンキ厚塗り気味ですが、全体に状態は良好です。なぜか前面ナンバープレートが斜めになっています。
帰りは駅まで歩いて25分ほど到着、駅前には駅弁業者の丸屋さんがあり、店頭でも駅弁を購入できるようですが、寒かったので駅そばにしました。
駅そばスタンドも丸屋さんがやっていますが、6時から22時までと営業時間がえらく長いのは関心しました。
また「そば弁当」なるものも売っているのですが、残念ながらこのときお店にあったのは消費時間切れで販売できないものだけで、あきらめました。
昼は行きのいわき駅で駅弁を、と考えていたのですが、ホームのKIOSKには見当たらず、改札外にもなかったので仕方なく売店でおにぎりを購入したのですが、帰りもいわきで乗り換えで降りたところ、階段下に駅弁売店があるのを見つけました。
が、並んでいるのは新宿駅でも見かけるNREのお弁当ばかり・・・
その中でこれは?と思わず手を出したのが「ウニピラフ弁当」1000円也。
駅弁マークは入っていませんが、かつてのいわきの名物駅弁「うにめし」の再来を思わせるお弁当です。
うにの旨み、甘みがたっぷり味わえました、またピラフというとさめてしまったらご飯がボロボロになるのでは、という懸念もありましたが、さめていて充分においしいお弁当でした。
製造元のメヒコはこのあたりで有名なシーフードレストランとのことです。
いわき駅上りホームには1枚だけホーロー看板が残っていました。
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