18きっぷで南紀へ
2日分残った18きっぷ使って往復「ながら」で南紀に行ってきました。列車本数の少ない紀勢本線では特急も使いましたが、多気から先に乗ったのは30年ぶりです。
「ながら」で早朝名古屋に着いてすぐに関西線に乗り継いでも結局途中は特急に乗ることになります。
ならば名古屋市内でちょっと寄り道と、未乗の地下鉄桜通線に乗車、終点の中村区役所前では一旦引き上げて折り返していました。
今池まで乗ってJR東海社員研修センターの保存車を訪問。
ここには軽便機ケ90とC57139が保存されています。
金城埠頭にできるJR東海鉄道博物館にC57は移転するとのことで、すでに新聞でも発表されています。
屋外にあるうちに一度、と思い立ち寄ることにしました。
以前は機関車の近くに入れたのですが、今はフェンスの外から眺めることになります。
東のC57126、西のC59108とともに戦後のお召し列車の先頭に何度も立った名古屋のエースC57139、ランボードにお召し装備の名残が見られます。
鉄道会社の敷地内で、しかも研修施設なのに足回りにサビが見えたのは少々残念です。
名古屋から亀山行きに乗り、さらに乗り継いで津へ、ここから「南紀1号」で熊野市に向かいます。
「南紀1号」は4連で自由席は1号車のみとのことで座れるかちょっと心配だったのですが、10人も乗っていなかったので、運転士後ろの席で前面展望を楽しみました。
少々遅れたのか定時ならば津を1分後に出る近鉄特急が先行、追走しましたが追いつきませんでした。
車内で童謡「ふるさと」のメロディーの電子音が何度か聞こえました。
着メロだったら切っておけよ、と思ったのですが松阪駅弁「モー太郎弁当」に仕込まれたものでした。
蓋をあけると光センサーが反応しメロディが流れるというギミック搭載の面白いお弁当なのですが、ずっと鳴っているのは車内ではけっこう気になるものです。
画像は熊野市駅を出発してゆく南紀1号。
熊野市駅は三角屋根のなかなか瀟洒な木造駅舎、改装されてはいるものの開業当時からのものだそうです。
折しも待合室では紀勢線全通50周年記念写真展が行われていました。
駅前から南紀広域バスで紀州鉱山のあった板屋へ。
途中こんな珍名バス停がありました。
「平ノ平」(ひらのだいら)なんていうバス停もありました。
板屋では鉱山資料館に保存されている紀州鉱山の車両を訪問、その後動態保存されているトロッコ電車に乗るべく出発地の瀞流荘に向かおうとタクシー会社の場所を資料館受付で聞いたところ職員さんはご存知ないとのこと。
こういう施設訪れる人はほとんどが車利用なんだぁ、と。
タクシー会社の場所は看板が出ていたのですぐに分かったのですが、そこにいたおじさんに声掛けると、なんと3月いっぱいで廃業したとのこと。
タクシーがいなかったら資料館から瀞流荘まで歩くつもりだったのですが、これは予想外でした。
地方の零細タクシーは今後廃業というケースも増えて行くのだろうな・・・
続きます。
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