JR完乗
電動アシスト自転車の威力で大淀河畔で30分ほど時間がとれました。
対岸にマンションができたものの36年前の夏と変らぬ悠々と流れる岸辺にはあの日と同じように船が舫ってありました。
主に空港連絡列車に使用される713系サンシャトルが通過してゆきます。
シャッターチャンスが中途半端ですね、架線柱の位置とか背景とか。
この日も昼食を買いそびれてパンだけだったので宮崎駅売店で駅弁を購入。
何種類かあったうち、椎茸めし750円を選んだのですが、同じ椎茸めしでも950円のグレードの高いものも並んでいましたが、食べてからそちらにしておけば・・・と思いました。
お値段的には充分満足のゆくものですが、なんせ空腹だったので量的に物足りなくて。
おかずは野菜煮物が中心であっさりしたお弁当でした。
このお弁当、お腹が減っていたのと、乗車する日南線が夕方の高校生帰宅列車になりそうで落ち着いて食べられないと思いホームで慌ただしく食べてしまいました。
なので印象も少々落ちるのは仕方ないかと。
残る1線、宮崎空港線が田吉から分岐してゆくのを見て運動公園で下車、駅舎を出ると運動公園の一直線の道路の向こうにC57175が見えます。
ですがだだっ広い公園で歩くこと10分、やっと機関車に到着しました。
門デフK-7を装備した麗しき機関車、36年ぶりの再会です。
機関車の裏手はかまどが並ぶ炊飯場で、移動教室の小学生たちが飯盒炊爨にカレーを作っていました。
まきの薄い煙とカレーの臭いに包まれて撮影しました。
田吉に戻り、向かいのホームに停車中の宮崎空港行に乗車、南宮崎発の普通列車なので先ほど撮影した713系だろうと思っていたら意外にも783系でした。
折り返し「ひゅうが2号」になる運用でした。
乗車時間3分、1.4km、最後のJR未乗路線は特に感慨もなくあっさり乗り終えてしまいました。
宮崎空港駅は滑走路もよく見える高架駅でした。
国鉄完乗後、新線は機会を見つけて乗るようにはしていましたが1990年4月の
博多南線、同年12月のガーラ湯沢線、1996年7月の宮崎空港線は未乗のままでした。昨年ガーラ湯沢と博多南に乗車、今回でやっとひと段落つきました。
かの宮脇先生も宮崎空港線は未乗のままだったとか。
JR関係の次の新線は九州新幹線博多~新八代でしょうか。
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