沖縄に行ってきた その4
だらだら書いているうちにもう1週間以上前のことになってしまいましたが・・・
それにしてもマイリストのリンクがいまだに復旧しないってのはどうようことよ>nifty
赤嶺駅前の日本最南端の駅のモニュメント。
うしろに列車が来るまで待とうかとも思ったものの、雨だしバスの時間も気になるのでこれだけ撮って次の列車で那覇空港に向かいました。
天気がよければ赤嶺と那覇空港の間にあるゆいレール展示館まで歩くつもりでした。
ところでゆいレールの駅には普通駅でよく見かけるある施設がありません。それは何か?後ほど答えを書きますが、ここはちょっと考えてみてください。
ゆいレールの車内を見回して感心したのは、広告枠がほとんど埋まっていたことでした。
ローカル鉄道、バスは広告がほとんどないか、あっても自社広告ばかりということもままあるので、これは会社の営業努力とゆいレールを支えようという地元の熱意の表れと思いました。
広告は医療関係が多く、どこの路線でも最近増えている消費者金融、債務整理、パチンコ屋の広告がなかったのは、市、県の条例でもあるのでしょうか。
そういえば週刊誌の広告もなかったような・・・
那覇空港駅から赤嶺方面に10分ほど歩いたところに沖縄都市モノレール本社があります。
入口にはシーサーが番をしていますが、正直なところ「ここ部外者が入っていっちゃっていいの?」という雰囲気がありますが、この中にゆいレール展示館があり平日9:30~16:30まで無料で公開されています。
実物車両はありませんが、ゆいレール建設の歴史、沖縄の鉄道の歴史、法曹界を定年後沖縄に移住されて精力的に沖縄の鉄道を紹介されているゆたかはじめさんのコレクションなどが展示されています。
ガラスケースの中に見慣れた本も並んでいました。(笑
またゆいレール開通までのビデオも放映されており、見ていて意外だったのは、運転士養成はてっきり同じ跨座式の北九州モノレールかなと思っていたら、JR九州、京浜急行で行っていたのですね。たしかにモノレールだけの免許はありませんから。
北九州モノレールだと一時期に大勢の養成をする余裕もなさそうですし。
沖縄軽便鉄道、沖縄電気軌道、南大東島の精糖専用線など、かつて沖縄にあった鉄軌道を紹介するコーナーが2階にありますが、展示されている資料は多くはありません。
戦争で総てを失った鉄道の現実がここにありました。
寝台特急「なは」号のヘッドマークも展示されています。廃止にあたってJR九州から那覇市に寄贈されたものです。
さて、普通駅にある施設でゆいレールの駅にないもの、それは売店です。
近年開業する新交通システムやモノレールの駅で無人でも売店だけはあるというところもあります。
那覇空港駅には沖縄の郷土菓子「ちんすこう」の売店はありましたが、新聞、雑誌、お菓子、雑貨などは扱っていません。
首里には売店はありましたがシャッターがおりたまま、長いこと営業していない様子です。
帰ってから気になって調べてみたら、開業当時はあったものの冷房がなかったため夏は40度以上にもなって、従業員の健康と食品を扱っていたことから業者が撤退してしまったとか。
たしかに鉄道駅の売店は冷房はありませんね、ゆいレールの駅を設計するときもそのまま本土と同じ考えでやってしまったのでしょう。
また鉄道がなかった沖縄では駅で新聞、雑誌を買うという習慣がなく、売店がなくとも不便とは感じないということもあるのかと思います。
続きます。
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