ためたマイルで南九州へ その5
矢岳駅の吉松方にある人吉SL展示館にはかつてこの線を行き来したD51170が素晴らしい状態で保存されています。
58654も復活までの間、D51170のとなりに大切に保存されていました。
列車愛称の由来、山縣伊三郎の篇額のある矢岳トンネルを抜けると霧島連峰を臨む大展望が開けますが、あいにくとこの日は曇り、山は見えないものの展望スポットでの一時停止と客室乗務員さんの観光アナウンスはありました。
やがてスイッチバックの真幸駅が眼下を流れてゆきます。
真幸駅といえばホームの砂利をまるで石庭のように掃き慣らした様子が有名でしたが、無人化されてそれも過去のものとなりましたが、駅舎前にかつてのホームを偲ばせるミニ石庭がありました。
駅舎内は週末など地元の物産販売などが行われ展示品もあり、大畑、矢岳に比べると人の温もりが感じられる駅です。
ホームには真幸にひっかけた「幸せの鐘」が設置され、みなさん鳴らしていましたが、ホーム奥に鎮座する山津波記念石に足を運んだ方はこのときは私以外いませんでした。
矢岳からD51が消えた年の1972年7月、山津波で真幸駅と駅周辺の温泉、民家などが埋没、死傷者が出る大災害となりました。
ホームにはそのとき転げ落ちた大石がそのままのこされ記念石となりましたが、列車内に置かれているパンフや、客室乗務員さんの案内放送でも紹介されていません。
災害の記憶はオープンにはしにくいということでしょうか。
続きます。
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