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2010年7月 5日 (月)

七夕豪雨の生き残り

近年の高千穂鉄道や休止中の名松線など、豪雨などで甚大な被害が発生、復旧の見込みがたたずそのまま消えていった鉄道線は各地にあります。
新暦の7月7日は梅雨の真っ最中、36年前の1974年7月7日の「七夕豪雨」によって静岡鉄道清水市内線は休止、そのまま復旧せず翌年3月に廃止されました。
ほとんどの車両は冠水してしまいましたが、モハ65は長沼車庫にいたため被害を免れ、廃止時は装飾され新清水に展示されました。
0703147025_2 その後は清水港線廃線跡にスハフ42、貨車移動機とともに清水港の港湾の歴史を伝えるフェルケール博物館の屋外展示物として保存されてきました。
が、近年老朽化が進み維持が困難とのことで、博物館では廃棄を決めたところ、地元の鉄道ファンたちがなんとか残せないかと行動を起こしましたが、博物館展示品ということもあるのか払い下げは難しい状況でした。

そこで金沢市電2202の修復活動をされている保存会の方々が、2202の保管先でもあるJR貨物北陸ロジスティクスに相談され、同社へ博物館から譲渡されることになりました。
(詳しくは金沢市電2202保存会さんの活動報告をご覧ください。)
今後修復を行い9月には公開を予定されているとのことですが、輸送費、これからの修復費等が必要です。
貴重な清水市内線の生き残り、いつの日か地元に帰る日のためにカンパのご協力をお願いします。
お問い合わせはこちらまで。
730408sizutetusinsimizu661

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コメント

 別府鉄道キハ2のお話では、たいへんお世話になりました。
 さて、私もよく廃止線を歩きますが、1996年6月、国鉄清水港線の跡を歩きました。そのときに、清水港線の車両の後に連結されているかたちで保存されていた電車が、静岡鉄道のモハ65だと知っていましたが、「七夕豪雨」(さくらももこ『ちびまる子ちゃん』・集英社版にもとりあげられた)の生き残りだったとか、解体の危機をまぬがれたとか、苦労してきていることを、らいむさまのご報告を読むまで知りませんでした。最後は安住の地が見つかってよかったな、と思います。
 別府のキハ2も、モハ65のように、JR(あるいは関連会社が動いてくれれば・・・と思います。

投稿: ハイセンマン | 2012年10月13日 (土) 23時15分

 さきほどは、「ただ」さまと別の方をとりちがえて、たいへん申し訳ございませんでした。
 モハ65の事例は、キハ2をはじめとする「問題の多い保存車両」を救うヒントになると思います。

投稿: ハイセンマン | 2012年10月13日 (土) 23時24分

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