おおさか東線に乗ってきた

三井野原のサミットを越えて終点備後落合まであとわずか。
木次線も駅名票はJR様式になっている駅がほとんどでしたが、油木には国鉄からのものと思しきものが現役でした。
備後落合は芸備線と木次線の接続駅、ですが周囲に家は数軒のみ。
昨今流行の秘境駅を名乗ってもよい雰囲気でした。
駅は無人化されていますが、待合室にはかつての写真などが掲示されていました。
備後落合はJR西日本広島支社と岡山支社の境界で、芸備線の直通列車もありません。
始発の三次行きに乗車、乗っていたのは木次線に乗ってきた人だけでした。
三次では広島行きの接続時間が30分ほど、その間に三江線列車が到着しましたが、廃止が来春に迫りおなごり乗車が多いようで、キハ120単行でしたが、けっこう立っていた人もいたようです。
三次駅には三江線乗車の際の並び方を指示したポスターも掲示されていました。
側線にDE10がいたので撮影。
続きます。
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木次線を全線乗り通したのは一度だけ、そのときは備後落合から乗ったので、出雲坂根の3段スイッチバックは降りでした。宍道側から登るのは初めてです。
先頭に張り付いて線路を眺めていると左側にスイッチバック線が現れました。
スイッチバック駅ならではダイヤモンドクロス、出雲坂根は現在も交換可能ですが、通常列車交換はありません。
今来た線路が分かれてゆきます。右奥に30‰の勾配票が見えます。
木立の間からはるか下に出雲坂根駅がちらりと見えました。(中央の赤い屋根)
次の三井野原駅までの間、線路は迂回して登ってゆきます。
長いトンネルを出ると車窓に広がったのは併走する国道のおろちループ、国道もこの区間は標高をかせぐため二重ループになっています。
木次線は平行道路が未整備のため廃止対象から外れていましたが、国道が整備された現在わずか3往復が行き来するだけ、かつての陰陽連絡急行、夜行列車もあったころからの凋落ぶりは激しいものです。
観光路線として売り出していますが、車窓の目玉が国道ループというのは皮肉な話です。
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米子駅前のホテルに泊まって翌日はまずはバスでかつての日の丸交通法勝寺線の終点へ。廃止されてからすでに半世紀が経過しましたが、近年法勝寺の小学校で保存されていたデハ203がJR後藤車両所で修復、場所も少々移動して立派な上屋の下に展示されました。
米子に戻って境港線に2駅乗って後藤工場へ。
開場と同時に勇壮な太鼓の演奏が始まりました。
入口にラッセル車キ182が保存されていますが前にワゴン車が・・・
太鼓を運んできた車だったので、演奏が終わって引き上げてから撮影しました。
今回の展示の目玉は新旧ラッセル車、新鋭キヤ143と前シーズンで引退したDE15を並べて、運転台見学も行われました。
工場公開では食堂も開放されることが多く、それも楽しみのひとつでもあるのですが、ここは場所は開放したものの、お弁当の販売だけでした。
おにぎり弁当を購入。
後藤工場から米子駅までは歩いてもたいしたことないので、帰路は途中のもう一両の日の丸交通保存車フ50を見に行きました。
近くまで行くとなにやら音楽が流れています。
保存されている広場ではイベント開催中、お姉さんデュオが熱唱していました。
米子での目的を果たして、あとは広島へ移動、伯備線経由を考えていたのですが、後藤工場を予定より早く切り上げられたので、時刻表を見ると木次線を日のあるうちに乗っても広島到着はさほど変わらないので、この機会に30数年ぶりに全線乗りとおすことにしました。
途中で食事はありつけないと思い米子で駅弁を仕入れておきました。
大山どりの鶏三昧弁当を購入。
途中の出雲三成でトロッコ列車奥出雲おろち号と交換。
この列車トロッコ列車ゆえかあまり鉄道ファンの間で話題になりませんが、今や貴重な客車列車です。
続きます。
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前回記事では場所を書かなかったのですが、連休中に珍しく休みが入ったので夜行バスと新幹線で明延1円電車の運転会に行ってきました。
帰りの明延からのバスは時刻表だと八鹿駅到着の1分前に上り普通列車が出るという接続無視のダイヤですが、休日昼間の便なので早着もあるかも、と思っていたら駅前への道を曲がったところで電車が出て行くのが見えました。
次の特急まで30分以上あったので駅舎などを観察。
壁面の八芒星飾り窓がイキなアクセントになっています。
木造跨線橋に左側通行の看板も良い味出してます。
支柱は足元が太くなったタイプ、これはもしや・・・と思って覗き込んで見ると
銘板がありましたが、磨り減っているのと塗料が厚くて読み取れません。
この手のものは雀宮、江津の「鉄道院」銘が有名ですが、これは4文字、左側は明○○のようです。
2番線に渡ってそちら側の柱も見ましたが、同じような状態で読み取れません。
ふとそこから1番線を見ると
奥の柱には2番線に向いて銘板が取り付けられ、しっかり読み取れます。
鐵道新橋
明四十
100年以上前の鉄骨が現役でした。
帰宅してから調べたところ、八鹿駅のある養父市でもこの跨線橋の価値を認め公式サイトでも紹介しています。
それによると元は福知山駅にあったものを戦後移設したとのこと。
残念ながら駅には全く案内表示はありませんでした。
飾り窓とともに立派な近代建築遺産として広く認識され、今後も残していってほしいものです。
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浜田駅に戻り、次の米子からの快速アクアライナーが浜田から各駅停車になる益田行きに乗ろうと改札を入ったところで案内放送が。
「次の益田行きは車両整備のため当駅で運転打ち切り、益田方面より到着する列車を折り返し益田行きとするため、発車は20分ほど遅れる。」
これは困りました、益田駅裏手のC57156を訪問して次のスーパーおきで津和野に移動する計画なので、浜田発車が遅れると益田での撮影時間が厳しくなる・・・
結局浜田を25分遅れで出発、益田にはその遅れのまま到着、それでもスーパーおきまでの時間は30分以上ありました。
機関車が保存されている西公園は駅舎と反対側、ホームから直線距離で200mほどですが、線路を渡るため駅外れまで迂回するので10分弱かかりました。
156号機は2011年に整備されたと市の公式サイトにありますが、露天ということもありかなり塗装の傷みが目立ちます。
またヘッドライトが欠けたままなのがなんとも・・・
津和野では先ずは駅横のD51194を訪問、土曜日で観光客も多く、ひっきりなしに人が立ち寄って、人が入らない絵を撮るのに時間くいました。
それだけ多くの人の目に触れて親しんでもらえているのですから結構なことです。
機関支区跡のC57の待機所へ。
乗務員氏が乗り込みバルブを操作したのか、スチームが上がりました。
やはり生きている蒸機は良いものです。
ところでC571、以前に比べてえらくあっさりとした姿になっています。
ランボードの白線、煙突の飾り帯などがなくなっています。
今年から昔に近づいた姿になったそうです。
ターンテーブルに乗って出庫するところを見送って、駅横へ。
ここでも多くの人がカメラを向けていました。
右はスタンプ台紙にもなるポストカード、中央が車掌さんから配られた乗車記念しおり。
九州や釜石線の客車は車内に売店もあり、スタンプもそこに置かれていますが、やまぐち号の客車にはそういった場所がなく、スタンプは洗面所に置かれていました。
車内はほぼ満席、車窓には2013年に起きた水害により付け替えられた水路、橋などが目立ちます。
篠目では4分停車、皆さん降りてホームで撮影していましたが、発車時間間際になっても戻らない人が多く、車掌さんの笛が何度も吹かれていました。
結局2分遅れで発車。
山口も4分停車なので、急いで駅の外に出れば発車を撮れる、そういうつもりでしたのですが、2分延着で停車時間は2分に。
大急ぎで改札を出て、新山口寄りの駐輪場入口に来たところで発車の汽笛、そこから走ってなんとかこんなのが撮れました。
最後は山口県立博物館前庭のD601を訪問。
博物館は休館中ですが、機関車は自由に見られます。
山口宇部空港行きのバスは、博物館の先の県庁前を経由するのでそこから乗り込もうとバス停に着いて、ふと財布を見ると一万円札しかありません。
どこかで両替をと思っても近くにはコンビニもなし、お店はあるのですが官庁街の土曜日の夕方では閉店、さて困ったと、たまたま近くで車に乗ろうとしていた方に両替できそうなお店ないですか、と訊ねたところ、千円札ならは両替できるよ、というお返事。
いや全くもって助かりました。
空港行きのバスは乗客0で到着、途中から乗る人もなく貸切状態でした。
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釜石へ行った折、帰りの新花巻駅で一ヶ月後の上りSLやまぐちの指定券を購入しました。
最後尾5号車を希望したのですが、団体枠で取れないとのこで1号車に。
進行方向窓側と指定したのですが、やまぐち号の座席表は無かったようで、とりあえずA席となりました。
昨今のように各地で蒸機運転が行われていなかったころは、年に数回やまぐち号撮影に出かけたものです。
2年後には牽引がD51200に、客車も新造とのことなので、この機会にと乗りに行きました。
冬の湿原、SLニセコ、大沼・函館、SL銀河、只見、ばんえつ、秩父、真岡、大井川、あそBoy、ひとよし、など定期運行されている蒸機列車はだいたい乗りましたが、老舗のやまぐちは実は未乗でした。
ついでに山陰西部の保存車を訪問するスケジュールで、夜行バスで松江へ、さらに広島行き高速バスに乗り換えて木次へ。
数年前解体決定から地元や各地の鉄道ファンからの声で存続されたC56108を訪問。
なんとなく人目にふれにくい場所かなと思っていましたが、裏手は中学校、撮影中も登校する生徒さんから「おはようございます」と元気なあいさつを何度もいただきました。
木次線は本数がえらく少ないため往路は高速バスを使わざる負えませんでした。
戻りは木次駅から、構内にはトロッコ列車奥出雲おろち号運転を期に設置されたと思しきイラスト入り石碑が。
このヤマタノオロチ、ぜんぜん怖くないけどいいのかな?
木次駅はホーロー看板も残る味わいある木造駅舎。
中には木次線展示室もありますが、朝8時では開いていませんでした。
ここで18きっぷにスタンプ押して宍道へ。
宍道からきっぷを買ってスーパーまつかぜで浜田へ。
駅前にはD51694と腕木信号機が展示されています。
浜田駅から徒歩10分ほどの野球場脇の公園に保存されているC57165を訪問。
集煙装置を装備していたため煙突が短くなってちょっとC57らしくない顔つきになっています。
球場では高校の練習試合が行われており、時折機関車の周りにもファウルボールが飛んできました。
スタンドから撮影。
続きます。
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夏の18きっぷシーズンはムーンライトながらの運転日も多いので何度か利用しています。
大垣、米原、京都と乗り換えて山陰線へ。
福知山からは2連のワンマン列車になり、江原で下車。車窓からも見える日高小学校のC58170を訪問。
学校に保存されている場合、事前に見学を申し込んだりもしているのですが、ここは校庭の端の公道に面したところでしたので、アポなしでもOKでした。
駅から徒歩5分もかからないところですが、次の列車までの時間は25分ほど、気ぜわしく撮影したのですが、そのときファインダー内の表示が妙だなと感じてはいたのですが・・・撮影モードダイヤルが動いていてマニュアルモードになっていました。結果は露出過多、かなり画像処理ソフトでごまかしたのですが周囲は飛んでしまっています。
江原から豊岡までは特急券+乗車券を買って2駅だけ381系に乗車。この車に乗るのはいつ以来だろう、しなので乗ったのはいつだったか・・・その後やくもでも乗っていたか、ちょっと記憶があやふやです。
車内中央の1人掛けというのはオリジナルだったのでしょうか。
豊岡では今時貴重な国鉄特急色同士の交換が見られました。
これも露出が狂っていたので補正したのですが、色合いが少々きつくなってしまいました。
今回の主な目的は今年4月に上下分離で経営主体が変わった北近畿タンゴ鉄道改め京都丹後鉄道の乗りつぶし。
経営が変わって乗りなおしとなると、営団→メトロもその対象になるのですが、さすがに地下鉄は面白味がないので乗りなおしはしていません。
ここは近年観光列車の「あおまつ」「あかまつ」「くろまつ」が登場して、ぜひ乗りたいと思ったものの、ながら往復の強行軍ではうまいことプランに組み込めませんでした。
豊岡駅丹鉄ホーム待合室のゴミ箱、右の竹製のものは最近置かれたものでしょうか。
京丹後市エリアに入ると各駅にこんなキャラクター勢ぞろいの看板が。
丹後七姫伝説とのことですが、ラインナップがすごい。
羽衣天女、乙姫の昔話キャラから静御前、小野小町、細川ガラシャという歴史上のビッグネーム、聖徳太子の母君間人
皇后、この人だけは知らなかったのですが、川上摩須郎女、この方の娘が垂仁天皇のお后になったそうです。
続きます。
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